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千葉家庭裁判所松戸支部 平成4年(少ロ)1号 決定

少年 M・T(昭和48.6.22生)

主文

本人に対し、金15万4000円を交付する。

理由

1  当裁判所は、平成4年11月13日、本人に対する平成4年少第263号傷害致死保護事件において、送致事実が認められないことを理由として、本人を保護処分に付さない旨の決定をした。同事件の記録によれば、本人は、上記送致事実と同一の被疑事実に基づき、平成4年1月29日から同年2月19日まで合計22日間逮捕勾留されたことが認められる。また、少なくとも、少年の保護事件に係る補償に関する法律(以下「法」という。)3条各号所定の、補償の全部を行わないことを相当とする事由は、同記録等によっても認められない。したがって、本人に対しては、法2条1項により、上記身柄拘束日数22日につき、補償をすべきである。

2  次に、補償金額について検討すると、上記保護事件の記録その他の一件記録によれば、本人は、上記逮捕当時、高等学校3年在学中であったところ、上記身柄拘束中に定期試験を受けられなかったことなどが相当に影響して、結局学校側から自主退学を促され、退学のやむなきに至ったこと、本人は、身柄の拘束を受けたのは今回が初めてであり、上記身柄拘束中、繰り返し取調べを受けるなどして、著しい精神的負担、苦痛を感じさせられたと推測されること、他方、上記保護事件に関する本人のかかわりあいの概要は、上記保護処分に付さない旨の決定(別紙で写しを添付)における理由中の判断記載のとおりであって、その言動が傷害致死の共同正犯に当たるかどうかは微妙な事案であったというべく、本人の行動全般には、少なくとも社会的に見てとがめられるべき側面があったことは否定できず、その他、実行行為者との関係等からして、本人が捜査上の必要のためその身柄を拘束されること自体は、少なくともある程度の期間はやむを得ないものであったというべきこと、本人においても、その後の家庭裁判所における調査、審判等の過程を通じて、その行動の問題点を反省する機会を持ち、本人の努力や保護者・付添人(本件代理人)の援助によるところが大きいとはいえ、現在では、上記保護事件に関する経験を教訓として、健全で前向きな社会生活を送る気構えを生じ、今春の大学受験を目指して、一応安定した生活を送っているものとうかがわれること、などの事情が認められる。その他、本人の年齢、身柄拘束の期間等諸般の事情を総合すれば、本人に対しては、1日7000円の割合による補償をするのが相当である。

3  よって、本人に対し、補償の対象となる全期間についての上記割合による補償金合計15万4000円を交付することとし、法5条1項により主文のとおり決定する。

(裁判官 畑中英明)

〔参考〕 保護事件決定(千棄家松戸支 平4(少)263号傷害致死保護事件 平4.11.13決定)

主文

本件につき少年を保護処分に付さない。

理由

本件送致事実は別紙のとおりである。

少年は、要するに、平成4年1月22日の夜から翌23日の朝方にかけて、A(当時23歳)、B(同23歳)、C(同25歳)と行動を共にし、その間、AらがD(当時21歳)を自動車で連れ出して、C方に連れ込むに至る経過の中で、終始これに同行し、C方において、AらがDに対しこもごも暴行、傷害を加えて死に至らしめた際にも、その現場(同じ部屋の中)に居続けたというものである。そして、少年の捜査段階及び当審判廷における供述等によれば、少年は、AらがDに対し、いわゆるリンチを加えるであろうことを十分予想しながら、Aらから「お前も来るか」などと問われ、従来Aらと親交し、世話になっていた手前もあって、これに応じて上記C方まで同行したというのであり、少年自身、積極的にDに暴行を加える意思や動機が存しなかったとしても、Aらとの年齢、力関係等を前提とすると、仮にAらから何らかの行為分担を求められ、あるいは、命じられた場合には、ある程度これに応じざるを得なかったのではないかとも考えられるのであり、かかる状況にかんがみれば、少年とAらとの間には、傷害致死につき共犯関係が成立していたとすることも、あながち考えられないではない。

しかしながら、少年は、結果として、終始Dに対する暴行、脅迫(Aらは、自動車内やC方において、Dに対し、繰り返し脅迫的な言動に及んでいる。)等の直接的な行動には一切加わらなかったばかりでなく、Aらから、行為分担を頼まれることになるのかどうかといった点にも思い及ばなかったと述べており、また、Aらの方も、少年に、何らかの行動・精神面での援助・協力を期待していたようにもうかがわれず、上記C方においても、もっぱらAらがDに対し暴行、傷害に及び、少年は、むしろリンチの場面に恐怖心を抱き、正座して、ときどき目をそらしたりしていたという状況であったことが認められる。しかして、これらの主観的・客観的諸状況を総合すれば、少年とAらとの間において、少年に共同正犯としての責任を問い得るだけの、互いに相手の行為を利用し合い、共同して暴行、傷害を行う旨の共謀関係が成立していたとはいまだいうことができず、したがって、本件非行事実の存在を前提として、少年を保護処分に付することはできないといわなければならない(なお、いうまでもなく、以上の判断は、少年の社会的・道義的責任ないし民事上の責任を対象とするものではない。)

(結論)

よって、少年法23条2項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 畑中英明)

別紙

少年は、A、B、Cと共謀の上、D(当時21年)が右Bの自動車販売を妨害したと決めつけ、あるいは右Aが以前交際していた女性と右Dが交際していることなどに因縁をつけ、こもごも同人に傷害を加えようと企て、平成4年1月23日午前5時過ぎころ、千葉県成田市○○××番地の×C方8畳間において、右Dに対し、右Bが、刃渡り約57.2センチメートルの日本刀の白木鞘で、右Dの頭部を数回殴打し、右日本刀の刃をその顔面に押し当て、更に右日本刀でその胸部を突き刺して胸部刺創等の傷害を負わせ、右Cにおいて、右Dの左腕部・左腹部を足蹴りするなどし、右Aにおいて、右Dの前額部を右日本刀の柄で殴打したり、右日本刀の刃を右Dの右頸部に押し当てるなどしたが、右Dが右Bらの追及に対して明確な返答をしなかったことなどから、右Aにおいて、更に激昂し、この上は右Dを殺害しようと決意し、同日午前5時30分ころ、同所において、右Aが右日本刀で右Dの背部を突き刺し、よって同人を同日午前6時30分過ぎころ、同県東葛飾郡○○町付近において、背部剌創による失血により死亡するに至らしめたものである。

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